— 社名について —

中川順一著「のらこみ89号」より

余ハ如何ニシテのらト成リシ乎(1)

 「なぜノラなのですか」と、今まで何百回も聞かれたから、これからも何百回も質問されるのだろう。「どうせ、ノラ猫あたりだろう」とも何十回も言われたし、その数倍の人が言わなくともそう判断していたと思う。
 簡単に言えば、まぁ、その通りである。
 31歳で会社を辞めた。自分で商売をしていこうと決めたけれども、果たして食っていくことができるのだろうか、そんなことを呑み屋のカウンターでくだくだと言っていたら、隣に座った常連の社長さんが、「心配するな。うちに来ているノラだって、毎日飯を食っている」と仰った。「そうか、俺はノラになるのか」……そう思ってつけたのがわが社の社名である。

余ハ如何ニシテのらト成リシ乎(2)

 会社を辞めて独立したいと周囲に相談したら、ありがたいことに「応援してやる」という人が何人かいた。そのうちのお一人に、「社名を『ノラ』にしました」と伝えたら、ひどく怒られた。「志が低い」と。
 それについては、少し反論したかった。
 ノラだから飼い主はいない。けれども餌をくれる人はいる。それは一人ではない。一人であれば、その人が飼い主になってしまう。飼い主のいる苦労を厭うたのも事実だが、一人に飼い主の負担をかけては申し訳ないと思ったのも本音だ。ノラだから複数の人から餌をもらう。ただ近所をうろつくだけでは餌にありつけないという予想はしていたし、事実、そうだった。
 餌をもらえるようになるにはどうすればいいのかを考えた。そして今でも考えている。特別な芸ができるわけではないが、一宿一飯の恩義を忘れず、たくさんネズミを捕るように頑張っている。

余ハ如何ニシテのらト成リシ乎(3)

 社名を「ノラ」にしましたと伝えたら、「ノラじゃ、人に紹介できない」と言った人もいた。そして今でもそういう人はいる。それは大変申し訳ないと思うし、世の中、そんなものなのかという学習もした。それでも「ノラを紹介してやる」と言ってくれる人もいるから、今もそのままでいる。
 大袈裟な名前は嫌だった。グローバルとかインターナショナルとか。仮に志がそうであっても、それを名刺や封筒に刷り込むのは恥ずかしいと考えていた。大日本印刷はあの規模だからそれでいいので、「大日本企画の中川だ」と名乗ったら、総会屋だと思われるだろう。
 言わないだけで、独立にあたっての志はあった。独立して17年も経ってしまうと、言い出しにくくなっているところもあるが、今だって志はある。そして志は決意するものであり、吹聴するものではない。
 謙遜しているが卑下してはいない。当社は、ノラである。

余ハ如何ニシテのらト成リシ乎(4)

 社名に「コミュニケーションズ」とつけることは最初から決めていた。NTTコミュニケーションズができたのが1999年だから、当社の名乗りの方が7年も先である。
 独立前はプロパンガスの業界紙の記者をしていたが、それほどの記者ではなかったし、プロパンガス業界も20年先はどうなっているかわからないと思っていた。だから「プロパン業界に特化しない」とプロパンガス会社の社長の前で言って「生意気なことを言うな」と叱られた。だが、とにかくどんな業種の仕事もやるつもりでいた。
 では、どんな仕事をするのか。編集もやる、出版もやる、広告もやる、印刷の取り次ぎもやる、ビデオの制作もイベントもやる……コミュニケーションに関することなら何でも引き受けるというつもりで、コミュニケーションズを名乗ろうと思った。当時はまだインターネットは一般化していなかったけれども、今ではホームページも作るし、頼まれれば宴会の段取りも引き受けている。当社ノラコミの商売は、コミュニケーションに関わる一切である。

余ハ如何ニシテのらト成リシ乎(5)

 江副浩正氏は創業した「大学新聞広告社」を「日本リクルートセンター」に社名変更したが、当初、営業マンが会社訪問をすると「運送屋は決まっているから」と断られたという。「陸ルート」と思われたらしい。けれども今や「リクルート」は普通名詞である。いつか「ノラコミ」も普通名詞にしてやると思ったし、いまでも密かにそう思っている。
 社名で商売が一発で分かる方がトクかもと考えて、数年前に別会社で「コンサルファーム有限会社」を作った。ところが「ファーム」を農場だと思っている人がいる。当社には、コンサルタントに草を食べさせている余裕も、乳をしぼる技術もない。たいたい、餌を待っているようなコンサルタントはいらない。
 新宿・諏訪町の書庫で、本格的に出版社をやろうと思い、「諏訪書房」のブランドを作った。中央本線に乗って諏訪を過ぎれば筑摩地方である。いつか、筑摩書房の手前ぐらいまでは行きたいと思っている。